ささくれ
なんだか、しょげていた。
そして、尖っていた。
雨のせいにしてしまえば楽だったかもしれない。
でも、こんなにも広いお空の自由をわたしごときが奪ってはならないし、
そもそもそんな風に気安く天気は変わったりしない。
古本市で買ったフランス名詞選をパラパラと捲る。
気に入った詩のページに付箋を貼っていく。
雨の日には、クラシック(特にエリックサティ)が聴きたくなる。
雨だからこその楽しみ方はなんだかスローリーで、穏やかで、そして、とても静かだ。
わたしの刺々しい気持ちは、天気より気まぐれだから、
すぐになんとか憂鬱な気分に対してもさらりと適合出来てしまう。
そういった面では大変楽な性分で、あまりうじうじとネガティブな思考を引きずることもない。
それこそわたし自身が嵐のような女なのだから、この感情の起伏というジェットコースターを乗ったり降りたりしているうちに疲弊して、気が抜けるとふんわり心が空っぽになる。
その感覚がわりかし、好きだったりもする。
昨夜は、スタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情」を観ながら、眠った。
なんだか映画を観ながらいつの間にか眠ってしまうというのが最高に贅沢だと感じるので、学生時代はレイトショーのチケットを買って、古ぼけたミニシアターでコーラを飲みながらグースカ眠って過ごした。
今日、不思議だと思ったのは、珍しく、「あ、ひとりぼっちって寂しい」と、
不意に孤独感に打ちひしがれたことだった。それもひょいと吹いた風のように、
心を突かれた感覚。なんともまあ気まぐれな心情でやや呆れてしまった。
わたしはどちらかと言えばひとりのほうが気楽で好きだし、
滅多に寂しさなどは感じない。
うちにはイモリのセンセーがいるし、美味しいご飯も拵えることができるし、
手紙を書いたり、本を読んだり、好きなだけ映画を観ることもできる。
家事は得意ではないが愛しいと思える作業だし、
大きなおならをしても誰も聞いちゃいないし、とにかく楽でしかないので、
本当に不思議な感情だった。
スカイプを繋いで心許すひとと話しながら、それとなく当たり障りのないぐだぐだとした会話を続けていたら、今度はひとりになりたくなってしまうという、
相手からしたら完全にはた迷惑で身勝手な言い分なわけだけれど、なんだかその人の過ごす時間軸のちょっとした隙間に自分という存在が挟まっているような生ぬるい気持ちが感じられただけで、120%を優に超えるような満足度が得られたのだった。
たまには、「寂しい」という気持ちも悪くないな、と思ったし、
穴ぼこみたいに、心細い空洞を埋めるというのは、大変気持ちが良かった。
自分のなかのよくわからないメカニズムについて、考えさせられた1日だったと思う。
それは凄く素敵なことだ。
明日は、どんな1日だろうか・・・
しかし、もう日を跨いでしまっているので、今日ではなく昨日の話なのだけれど。
そして、昨日が今日という日に脱皮して羽ばたき始めたばかりなんだ。
深夜帯の、タイムリープ、夜更かしって、子供のころからなんだか後ろめたくて好きなんだよね。
それでは、いつか、おやすみなさい。